『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』が到達した多面多角的世界

『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』(上映:渋谷UPLINK)を観た。すんごい映画だった。

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監督の佐々木誠さんは、これまでに、視覚障害者が映画を作るという『INNERVISION』などの映画作品の監督や、
フジテレビで放送されたドキュメンタリー『バリアフリーコミュニケーション 僕たちはセックスしないの!?できないの!?』などを手がけてきた鬼才。

映画は、自らが犯してしまったらしい事件についての精神障害者の回想から始まり、身体障害者の恋愛、東日本大震災など、様々な事象が絡みつつ進む。

観ていて頭をグルグルと巡るのは、障害者と健常者、精神障害と身体障害、日常と非日常、日本と外国、虚構と現実、過去と現在と未来などの、二項・三項の対比。
こうした『対比』は、撮影の仕方や作品自体の構成にも現れ、静と動、統一と破綻、醜と美が、交錯していく。

上映後、会場に来ていた佐々木監督と話をしたく残っていたら、幸運にも本人からお誘いいただき、その場にいた何人かと飲みに行ったが、その際に監督は「レイヤーが重なるイメージ」とおっしゃった。

事実そうで、多層的なのだが、実際はそれ以上のものがあった。

対比されるもの全てが一度落とされ、大小に割れ飛び散ったパーツが立体的に再構築される感じ。

立体的なジャクソン・ポロックと言うには、もっと自由だし、
ブレンデッド・ウイスキーの味わいより、やはり自由だし、
星の並びと言うにも、もっと自由を感じる。

それを安易に『実験的』と理解するのも違うだろう。というのもそこをもが対比的に組み込まれ、実験的でない部分もあるからだ。メタ映画とも言えるし、そもそも映画ではないかもしれない。けれど、つまるところは『映画』と監督はするだろう。なんて問題作!(笑)

鑑賞直後は『東京』ということが唯一通奏低音のように存在すると思ったが、
少し時間が経った今ではそれも一部に過ぎないと感じる。

会期中、2度3度と足を運んで観た客が複数いたそうだが、それも分かる。
作品の印象は鑑賞後に変化するし、何度観ても、その度に印象が変わるだろう。

あと、佐々木監督から聞いた話で面白かったのが、上映後にほぼ毎日ゲストを呼んでトークショーを行ったそうだが、その日のゲストがその場で初めて当作を観て直後にトークショーを行った場合、作品内容を批判されることが時々あったのだそう。

それもとても分かる話だなと思った。頭の整理がなかなかできないのだ。それゆえ、直後に人前に出て話をしなければならないのなら、手放しにただ漠然と褒めるか、批判するか、のどちらかになってしまいそうだ。

一方、観た後でこんなにも人と感想を話し合いたくなる映画というものも初めてだった。あまりに多面的・多角的で、話したくなることがたくさんあるのだ。

作風が一致という意味では全くないが、ヌーヴェル・ヴァーグが登場した時の衝撃は、こういったものだったのかもしれない、とすら思った。

ともあれ、混迷する(ように思える)今を生きるために、如何なる思考、生き方をすべきなのか。主人公の「ワタシ」による1つの在り方に気付かされる部分は多かった。


※この作品は、連日の盛況を受け、アンコール上映が決定したそうです。
2015/3/21(土)~4/3(金)
また、毎週水曜日は佐々木誠監督の前作『INNERVISION インナーヴィジョン』との2本立て上映だそう。豪華!

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